院長の自分勝手な思い

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偉そうな?問診と説明と求められるモノ

いつからどんな症状が出たか、どう変化したか、どんな症状が加わったか・・・30余年前の研修医の頃、「小児科では何より問診が大切。それだけで8割診断できるハズ。」「診察は、問診で予測した疾患の確認や裏付けと、予測を裏返す所見の発見が目的だ。」と教えられました。大学卒業後100%近くが大学に残る当時には珍しく、大学には残らず即現場に就職して実践のみ、現場だけの30余年。出来る限り疾患の子供に寄り添いたい、より理解したいという気持ちに変わりはありません。子供と動物には好かれ易いと自分勝手に思っています。

強面の風貌は、今治生まれの今治育ちに、「応援団やラグビー部」で「漢(おとこ)」を求めていた過去、やや好戦的な癖と棘(とげ)が抜けてないのかもしれません。医学生が教授大先生に意見するような気性の輩(笑)、一般社会でも問題児でしょうし、特に、医者らしくはありませんよね。特に、小児科。自分の子供達が成人してからさらに、医者は向いてないかもという思いが強くなっています。

一所懸命、全身全霊という態度より、サービスと笑顔が求められる時代になって来たとツクヅク思います。真剣な問診や私の判断をできるだけ分かりやすく話そうとする行為は求められなくなってきて、子供さんの事よりも、より親御さんの御希望に添う事が求められている様に感じる様になりました。質問や説明が長くなってしまうと明らかに御機嫌が怪しくなられる親御さんも増えた気がします。

時代の流れと求められる事。

先日問診中に「尋問(じんもん)みたいですねっ!」とお𠮟りを受けた事は、言葉の剣として私に刺さったまま抜けなくなってしまいました。時代遅れなのか。確かに電子カルテやWEB何タラ…にはついていけていません。

自分の為には病院を受診する事も許されず(自己診療は医師法で禁止されています)、突然進行した持病が一つ一つ積み重なっていく年齢になって、「何と言われようが私は職人なんだ!」とはねつけてきた心も弱くなってしまった様です。自己満足の「匠の心」がいつまでもつでしょうか。